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やちくりけんブログ

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2019年 05月 27日

2019.5.26八千代市内出土の縄文草創期・早期土器資料熟覧会の報告

2019年5月26日(日)午後、市内で新たに発見された「麦丸宮前上遺跡e地点」出土の縄文草創期土器と、15年前に調査された保品の上谷遺跡の縄文早期土器の熟覧会を開催し、会場の八千代市教育委員会庁舎地下のバックヤードには、24名が集まり、熱心に見学しました。

案内は教育委員会文化財班の宮澤久史さん、麦丸宮前上遺跡出土の縄文草創期土器については斉藤弘道さん、上谷遺跡の縄文早期土器については松戸市の峰村篤さんが、解説されました。

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「麦丸宮前上遺跡e地点」での本調査は平成29年度実施、29~30年度整理、地域文化財研究所が調査を担当。この遺跡は奈良・平安時代の集落遺跡ですが、包含層出土遺物の中に縄文時代草創期の古手の土器が含まれていたということで、市内では初めてであり最古、近隣でも珍しい発見となりました。

この草創期土器は、花巻市上台遺跡の土器に類似した無紋の方形平底の比較的浅い鉢と、新潟市室谷洞窟出土の室谷下層式の組み合わせにあるような、注口土器の2個体のセットです。(似たようなセットは、千葉市の遺跡でもあるそうです。)
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斎藤さんの数多くの土器を観察してきた経験から、この土器を極めて珍しい草創期の土器と判明されたお話は、感動的でした。

また草創期初頭かそれ以前と思われる小型の槍先と思われる安山岩石の石器も伴って出土していました。

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保品の上谷遺跡の早期の撚糸紋土器については、多量の土器片を整理された峰村篤さんが、井草〜稲荷台〜稲荷原〜花輪台式までの口縁部や文様などの各特長を丁寧に説明され、その豊富な内容を把握することができました。


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教育委員会ロビー展示では、草創期土器を含む「麦丸宮前上遺跡e地点」の弥生後期土器なども展示されています。

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研究会の後は、大和田の中華料理店で懇親会を行い、13名が参加しました。
(記・蕨由美)


☆追記(2019.5.31)

本文では、撚糸文土器を縄文早期と分類して紹介しましたが、講師の峰村篤氏は、撚糸文土器を草創期とされておられます。

そのことに関して問い合せしましたら、次のようにお答えくださいましたので、ご紹介します。

《縄文土器の大別は、山内清男1937「縄紋土器型式の細別と大別」先史考古学1-1で示された方針に従っています。

それは、最も普遍的に遺跡から出土する縄文土器の細別(型式)と、それを同じ位の数の型式をまとめた大別(早期~晩期)で、さまざまな考古学的な現象(遺構、遺物など)に時間的な秩序が与えられるというもので、大別の考え方の原典となっています。

「草創期」という大別は、撚糸文土器などが知られるようになった後で追加されたのですが、多くの研究者は既にそれらを「早期」として認識していたこともあり、中々定着しなかったようです。

現在は、撚糸文早期説の代表格である小林達雄とその門下生の影響が強く、撚糸文早期が多数派となっています。

私は幾つか理由はあるのですが、基本的には「細別と大別」の提唱者である山内の方針を変更する事情は、今日的にも無いということで、草創期説を採っています(現在は草創期を更に二分する七大別も提唱されています)。

但し、上谷の報告の時もそうだったのですが、あまりこれに拘りすぎていると話が先に進まなくなるので、注釈等で自分の立場を説明した上で編集者の方針に従うことが多いです。》

(記・蕨由美)




by yatikuriken | 2019-05-27 16:50 | ☆活動日誌


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